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2013年03月11日
薬剤師が薬剤師たる所以は「薬学的知識」があるからだ!
昨日の「薬剤師的話題」でもご紹介しましたが、薬事日報の記事。
医療職種間コミュニケーションと「知識」 : 薬事日報ウェブサイト
この記事を読んでから、ずっと頭の片隅に引っかかっていたことを書きたいと思います。
薬剤師というのは、どうも影が薄いというか、医師をはじめ他の医療職とのコミュニケーションが不得手な部分があると言われていますよね。
これって、薬剤師の性格的な問題とか、コミュニケーションスキルが不足しているから…と言われることが多いですが、実はそうではなくて、コラムの言葉を借りるならばズバリ、「絶対的な知識不足」に起因するのではないでしょうか。
お断りしておきますが、あくまで私の個人的な感想あるいは仮説であって、それが正しいかどうかの検証はしていません。反論は歓迎しますが、その部分だけご了解ください。
コミュニケーションスキルの取得が必須だと言われて久しいですが、これは対患者はもちろん、他の医療職種に対しても言えることです。研修会や書籍も、コミュニケーションに関するものが数多くありますよね。
しかしながら、「絶対的な知識不足」が原因であるとするならば、コミュニケーションスキルを身に着けることに一生懸命になったところで、絶対にその問題が解決することはありません。頑張る場所が違うのです。
原因を正しく探り、それに対して適切な方法で対応してゆくことが必要です。語学の勉強で言うならば、絶対的な語彙(単語数)が不足しているから単語を覚えなければならないのに、文法や発音ばかり学んでいることに例えられるでしょう。
「卵が先が、鶏が先か」という話になってしまうかもしれませんが、薬剤師が薬学的知識を持たなければ、まさに「知識のない専門職」そのものです。高度なコミュニケーションスキルを身につければ、薬局へ来るお年寄りの茶飲み話には事欠かないかもしれませんが、薬局はサロンではありません。
私たちが行ってゆくべきは、一にも二にも「薬学的知識の向上」なのではないか、と、薬事日報の記事を読んで考えた次第です。
▽ 薬物動態を推理する55Question
医療職種間コミュニケーションと「知識」 : 薬事日報ウェブサイト
この記事を読んでから、ずっと頭の片隅に引っかかっていたことを書きたいと思います。
薬剤師というのは、どうも影が薄いというか、医師をはじめ他の医療職とのコミュニケーションが不得手な部分があると言われていますよね。
これって、薬剤師の性格的な問題とか、コミュニケーションスキルが不足しているから…と言われることが多いですが、実はそうではなくて、コラムの言葉を借りるならばズバリ、「絶対的な知識不足」に起因するのではないでしょうか。
お断りしておきますが、あくまで私の個人的な感想あるいは仮説であって、それが正しいかどうかの検証はしていません。反論は歓迎しますが、その部分だけご了解ください。
コミュニケーションスキルの取得が必須だと言われて久しいですが、これは対患者はもちろん、他の医療職種に対しても言えることです。研修会や書籍も、コミュニケーションに関するものが数多くありますよね。
しかしながら、「絶対的な知識不足」が原因であるとするならば、コミュニケーションスキルを身に着けることに一生懸命になったところで、絶対にその問題が解決することはありません。頑張る場所が違うのです。
原因を正しく探り、それに対して適切な方法で対応してゆくことが必要です。語学の勉強で言うならば、絶対的な語彙(単語数)が不足しているから単語を覚えなければならないのに、文法や発音ばかり学んでいることに例えられるでしょう。
「卵が先が、鶏が先か」という話になってしまうかもしれませんが、薬剤師が薬学的知識を持たなければ、まさに「知識のない専門職」そのものです。高度なコミュニケーションスキルを身につければ、薬局へ来るお年寄りの茶飲み話には事欠かないかもしれませんが、薬局はサロンではありません。
私たちが行ってゆくべきは、一にも二にも「薬学的知識の向上」なのではないか、と、薬事日報の記事を読んで考えた次第です。
▽ 薬物動態を推理する55Question

23:52
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| ウラ
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「薬学」的知識・経験をもとに、目の前の患者さんの治療・生活にどう生かしていくのかを考え続けることが大切だと思います。
現在の日本の臨床医療においては、余りにも「薬学」が軽く扱われ過ぎていると感じます。
今は副作用・相互作用が起こっていないから大丈夫ではなく、起こり得る危険はできるだけ避けるという考え方をすべきだと考えています。医療というものは、最悪を想定して、行われるべきです。
そういった視点に立つと、「薬学」がもっと活用されてしかるべきだと思うのですが...
毎日の業務で、お医者さんや患者さんからの叱責にめげず、薬剤師としてやるべきことを粛々と行っていきます(愛情を込めて)。それが地域の健康・安全を守る一番の方法だと考えています。
また、現場で生かせる経験や知識を共有する「場」の一つを提供して頂いていることを、熊谷信先生にお礼申し上げます<(_ _)>
共感いただき嬉しいです。また、ブログも活用いただいており、ありがとうございます。
「起こりうる危険はできるだけ避ける」というのは私も感じています。そうした一つ一つの積み重ねが大きくなることで安心、安全につながっていくんですよね。
幅広く深い知識を持ち、それを適切に、わかりやすく活かせていける存在になりたいですね。
もちろんそのためには薬学は元より、いろんな知識を磨いて行く必要がありますが。それが楽しい仕事と思っています。
ある薬剤師の先生の講演で、薬剤師は、「薬剤の適正使用と副作用の未然防止によってその大切な命を守ることができる唯一の職種である」
よって「薬剤治療における頼れる専門家である努力をし続けましょう」というような話をお聞きし感動したのを思い出しました。
認められない、地位が向上しない
こんな問題設定してる時点で、終わっているのでは? と思ってしまいました。
認められるってなんでしょうか?
お金が稼げること?、患者さんに尊敬されること? Drにほめられること? 世間で薬剤師について好意的なコメントが見られるようになること?
知識が増えれば、スキルがつけば認められる?
言い古された議論かもしれませんが、人が認めるのは“知識”ではなく“価値”ではないでしょうか?
薬剤師が調剤を通して、関係者(患者、医療機関、卸、メーカーなどなど)にどんな価値を提供できるかが勝負かと思います。
わかってもらうのはなかなか難しいですね。そんな私も日々知らないことばかりに出会っています!
最近セミナーに出席すると
生涯学習支援システム「JPALS」の紹介があります。
最初の頃「めんどくさいしこんなにお金がかかるなんて!」とスルーしていたのですが、あまりにも頻回説明を聞かされると、「やった方が良いのかな」なんて少し考えるようになりました。
認定要件を満たせば、今月末までに申請に限りレベル5過渡的認定可能と云われると余計に、、、(笑)
熊谷さんはどうされますか?
この話題、すでにされていたら申し訳ありません。
コメントありがとうございます。
知識もコミュニケーションも、どちらか片方だけでもいけないですし、バランスが大切ですよね。読み返してみますと、高いところから書いたような部分もありますが…。言うは易し行うは難し、ですね。
JPALSの過渡的認定は…要件を満たしていないので、実は認定されないんですよね。登録だけして、なかなか活用できていません(汗
私もお金が結構かかる上に、
本当に登録する価値があるのか…
とかなり悩みましたが…
一応要件満たしているので、悩んだ結果、
先ほど過渡的認定を受けました。
5万円を捨てたつもりで、
とりあえず3年間様子を見ようと思います。
っていうか、そもそも過渡的認定を受ける時点で、
私は恥知らずではないのかと、
倫理的な自問自答がいまだ続いております。
(J−PALSの倫理規定の勉強のチェック項目みて苦笑いです)
まあ一応、認定持ってるってことで。。。許してもらえるのだろうか。。。
過渡的認定、申し込んだのですね。
私は登録はしたものの、その後ほとんどログインもしていない状況です…(苦笑)
そういえばちょうど先日、過渡的認定期限延長のお知らせが出ていました。
http://www.jpals.jp/news/news-detail.php?id=37
>ルルル様
登録されているんですね!高いですよね、、。
広まるのかなぁ、と思ってしまいました。
くま☆さんがおっしゃっている通り、期限延長もありましたので、もうちょっとだけ悩んでみます(笑)
参考になりました。ありがとうございます!
薬学的知識をかみ砕いて普通にわかるように表現する力が欠けているような気がしますね。
何か薬剤師って勉強ばかりして社会的な一般常識をするーしてる人が多いと言うと暴論ですね・・・・
普通の常識を重要と思わず関心がない人が多い気がします。
例えば総会へ出席しないとか、委任状の書き方を知らないとか・・・・・そんな事より薬剤師の研修会!って人が多い感じ。
どっちが先かですけどね、確かに。
薬学的知識を日見下して表現する力、確かに大切ですよね。
何にしてもそうですが、車の両輪みたいなもので、どちらかがなくても、バランスが悪くてもよくないでしょうし、なかなか苦慮する部分ではありますね。